世界の通貨 イギリス
イギリスのお金の種類は?
イギリスの通貨単位は「ポンド(「£」もしくは「GBP」と表記されます)」といいます。また、補助通貨として「ペニー(penny 複数形ペンス pence)」もあり、100ペンスは1ポンドに相当します。
イギリスでは、4種類の紙幣と、8種類の硬貨が流通しております。
紙幣 | 5ポンド、10ポンド、20ポンド、50ポンド |
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硬貨 | 1ペニー、2ペンス、5ペンス、10ペンス、20ペンス、50ペンス、1ポンド、2ポンド |
ポンドへの投資
イギリスはかつて世界経済の中心地であり、同国通貨のポンドは基軸通貨でもありました。現在は米ドルがその役割を担っていますが、米ドル、ユーロ、円に次いで世界で4番目に取引量が多い通貨として世界経済における存在感は高い状況です。また、ポンドは他のメジャーな通貨と比較すると流動性が低いためボラティリティが高い傾向にあります。値動きが荒いことから「悪魔の通貨」と呼ばれることもあります。価格の変動が大きい分、変動を予測し、適切なリスク管理を行うことで高いリターンを狙うことができます。
ポンド/円相場の推移
①ポンド/円相場は2003年半ば~2008年前半まで円安・ポンド高傾向でした。2007年7月には1ポンド=251円台を記録しています。
②欧米の金融機関によるサブプライムローン問題によりイギリス経済は大打撃を受け、2008年後半にイギリスの景気後退が確認されてポンド売りが加速しました。
③ブレグジットでポンドが急落しました。イギリスのEU離脱は予想外の結果だったため、為替相場に大きなインパクトを与え、急激な円高・ポンド安を招きました。
④2021年12月に最初の利上げを行い、それ以降高いインフレ率の抑制のために利上げを進めた結果、日本との金利差が拡大し、円安・ポンド高が進行しました。
ポンド相場の変動要因
ポンドも、米ドルと同様に経済指標や要人発言が主な変動要因となっております(具体例は米ドルの紹介ページをご参照ください)。ここでは、そのほかにも注目しておきたい変動要因を紹介します。
イギリスは地政学的にも欧州の一部にあるので、ポンドの値動きはユーロと連動しやすい特徴があります。欧州の通貨であるため、欧州経済の影響を受けやすいといえます。また、イギリスは北海油田を有していることもあり、原油価格の影響を受けることもあります。
ポンドの経済指標
消費者物価指数(CPI)
消費者物価指数は概してCPI(Consumer price index)とも呼ばれており、一般消費者世帯が購入する商品やサービスの、総合的な価格の動きを指数化したものです。インフレに関する今後の動向を分析する指標として最も一般的であり、金融当局の政策を読むうえで注目度が高いといえます。イングランド銀行のインフレ目標は「前年比でインフレ上昇率2%」となっており、上下±1%のバンドが設定されています。インフレ率が高まり、利上げ期待が高まればポンド高要因になります。
イングランド銀行の政策金利
政策金利とは中央銀行が一般銀行に貸し出すときの金利を指し、金利を調整することで景気の過熱や失速を防ぐ役割があります。ポンドの政策金利を決定する金融政策委員会(MPC)は年8回開催され、そのうち年4回(2月、5月、8月、11月)は四半期金融政策報告書や総裁・副総裁の記者会見も加わることから「スーパーサーズデイ」と呼ばれています。金融政策の変更の可能性が高まる瞬間である為、マーケットで注目されるイベントとなっています。
ポンド投資を始めるには
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イギリスの基礎知識
- 正式名称
- グレート・ブリテンおよび北部アイルランド連合王国
- 首都
- ロンドン
- 公用語
- 英語
- 政治
- 立憲君主制のもと、議会は二院制(上院、下院)を採用
- 元首
- チャールズ3世
- 首相
- キア・スターマー
- 中央銀行
- BOE (Bank of England イングランド銀行)
- イギリスの歴史
- 1066年にウィリアム征服王がイングランドを制圧し、封建制導入などによって王国の体制を整えていったのがイギリスの始まりといわれております。その後、スコットランド、アイルランドなどを併合して、1927年に「グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国」を国名としました。
19世紀以降、イギリスは次々に植民地を拡大させる一方、奴隷に長時間労働を強いて経済活動を拡大させた結果、世界に先駆けて産業革命を達成しました。しかし、イギリスの世界覇権は第1次世界大戦までで、それ以降はアメリカに世界最大の経済大国の座を奪われる格好になりました。
第2次世界大戦直後、労働党のアトリー政権が「ゆりかごから墓場まで」をスローガンにいち早く福祉国家を作り上げました。しかし、これが経済の停滞を招き、1960年代以降は「イギリス病」とまで呼ばれる不景気に苦しみました。
1980年代にサッチャー首相が経済再建のために急進的な構造改革(民営化・行政改革・規制緩和)を実施した結果、景気は好転し「イギリス病」を克服することに成功しました。ところが、サッチャー首相の改革によって大量の失業者が出てしまったことを受け、1990年代保守党から労働党のトニー・ブレアに政権交代したことをきっかけに、イギリスは市場化一辺倒の政策を修正し、就労支援や公立校改革などを積極的に手がけました。その結果、製造業停滞などの問題を抱えているものの、失業率は低水準でした。しかし、2007年のサブプライムローン危機でイギリス経済は大打撃を受け、2008年後半の金融危機で景気後退に陥りました。
2016年6月に行われた国民投票でイギリスのEU離脱(ブレグジット)が決まり、2020年1月をもって正式に離脱しました。
2022年には相次ぐ不祥事により、ジョンソン首相が辞任し、後任のトラス首相は経済政策でイギリスの金融市場に混乱を招いたため、就任からわずか45日での辞意表明となりました。
2024年7月4日に総選挙で労働党が圧勝し、スターマー党首が新首相に就任しました。