PickUp編集部では、総選挙を控えたトルコ共和国の情報を、より身近な個人投資家の目線で伝えるために、現地在住の方々から、生の情報を伝えていただく"特派員リポート"の配信を行っています。
トルコ大統領選は、共和人民党 (CHP) 党首のクルチダルオール候補が優勢という国内外の大方のマスメディアによる事前予想(と期待)に反して、エルドアン大統領がクルチダルオールに250万票の差をつけましたが、両者とも過半数の票を獲得することができず、勝敗は28日の決選投票に持ち越されました。全体の投票率は86.87%でした。筆者は、「第3章 大統領選の行方」の記事をまとめているとき、クルチダルオールはトルコの世論を見誤っており、大統領選ではエルドアンがリードするのではないかという考えが浮かびましたが、やはり想像した通りの結果になりました。それでは、クルチダルオールは何を見誤ったのでしょうか。
図1 大統領選の結果(左)と国政選挙の結果(右)
オレンジ:人民同盟、赤:国民同盟、紫:クルド系政党の同盟
出典:Hurriyet紙
図2 大統領選挙の結果(票を多く獲得した候補を色分け)
オレンジ:エルドアン大統領、赤:クルチダルオール候補 青い円:大地震の被災地
出典:Hurriyet紙
図3 国政選挙の結果(票を最も多く獲得した同盟を色分け)
オレンジ:エルドアン大統領、赤:クルチダルオール候補 紫:クルド系政党の同盟
出典:Hurriyet紙
世論を見誤ったクルチダルオール
1. まず何といっても、打倒エルドアンを意識するあまり、なりふり構わずエルドアン政権の元大臣が設立した党、トルコ民族主義、中道左派、中道右派など、政治イデオロギーも政治の目指す方向性も全く異なる党を寄せ集めた6党で国民同盟を形成したことです。選挙の1年以上前から大統領選や議会選挙について6党で話し合いを重ねたにもかかわらず、当然意見の一致は見られず、大統領候補も選挙の2か月前にやっと選出する有様で、国民に決断力の欠如を露呈することになりました。
しかも、野党第2党の善良党を除く弱小4党の候補を自らの政党 (CHP) の比例代表名簿に掲載し、国政選挙後に合計36議席を4党に割り振るという取り決めを行いました。したがって、CHPは国政選挙で投票率25.33%、169議席を獲得したにもかかわらず、36議席を自動的に失って133議席に留まりました。当然ながら今回の取り決めによって当選できなかったCHP党員から不満の声が上がり、早くもクルチダルオール辞任論が浮上しています。
2. 善良党がクルチダルオールが候補になったことに不満を表明して6党同盟を脱退すると発表した後、間髪を入れずにクルド系政党である国民民主主義党 (HDP) に国民同盟に参加するように呼びかけ、HDPはその誘いに応じて7党連合となったことです。HDPはクルド系の政党で、日本を含め多数の国でテロリスト集団と認定されているクルディスタン労働者党 (PKK) との深い関係を疑われているにもかかわらず、同盟に参加させたことで、クルチダルオールを支持していた都市部の支持者のなかでもクルチダルオール離れを起こすきっかけとなったのではないかと思われます。HDPは現在解党が審議されており、それを避けるために議会選挙のHDPの候補者は緑と左の党から立候補し、投票率8.81%、61議席を獲得しています。
3. エルドアン大統領を批判する意見を集めようと、大地震の被災地に手ぶらで乗り込んだことです。エルドアン政権は、被災地への初期の対応が遅れたとはいえ、テント村を建設し、支援物資を被災地に送り、温かい食事を提供していました。自分たちに寄り添おうと努めている政権の批判票を集めるためだけに被災地を訪れたクルチダルオールをはじめとする野党の党首に、被災者が怒りを感じたのは当然のことであり、その様子が全国ネットのニュースで繰り返し放送されました。
この事実を裏付けるように、被災地の認定を受けた11県のうち、元々クルド系の政党が強いディヤルバクル県、CHPが強いアダナ県、クルチダルオールとエルドアンの票が拮抗したハタイ県を除く8県では、エルドアンが60%以上の票を獲得しています。国政選挙では、ディヤルバクル権を除く10県でエルドアン大統領率いる人民同盟への票がクルチダルオール率いる国民同盟への票を上回りました。
4. クルチダルオールが自分の出自を明らかにしたことです。クルド系で、しかもスンニー派が大多数のトルコでは異端とされているアレヴィー派であると表明しました。アレヴィー派はモスクで礼拝を行わず、ラマザン月でも断食をしません。クルチダルオールは選挙の1か月前に、あるモスクで祈祷用の絨毯を靴で踏みつけたまま写真撮影に応じたことで、国民の反感を買いました。筆者の周囲でもアレヴィー派に対して嫌悪感を抱く人がいます。
5. 日本を含め多数の国でテロリスト集団と認定されているクルディスタン労働者党 (PKK) が、クルチダルオールを応援すると表明したことです。PKKは40年前から東部と南東部、大都市を中心にテロ活動を展開し、トルコ軍兵士と民間人の犠牲者は合計35,000人以上に達しています。トルコのゴールデンタイムのニュースでは、何よりもまずその日に実施されたテロリスト撲滅作戦と、その作戦で亡くなった兵士や民間人について、次に前日に亡くなった人たちの葬儀の様子を放送します。トルコの学校では、月曜日の朝礼と金曜日の下校時に必ず国歌を斉唱します。
トルコの国歌は、第一次世界大戦後に連合国に占領され、独立を目指して戦っている最中の1921年に作曲された「独立行進曲」です。この国歌では、国の独立のためなら死ぬことも厭わないと歌われています。トルコの国旗は赤地に三日月と星が描かれていますが、この赤は血の赤であり、戦死した兵士から流れた血の海に三日月と星が映っている様子を国旗にしたと言われています。物心つくころから学校で国歌を繰り返し斉唱し、愛国心を叩き込まれている国民がテロリスト集団と結びついたクルチダルオールに嫌悪感を示してもおかしくないでしょう。
トルコの国旗で飾られた船
6.前回の大統領選挙候補でもあり、元CHPのムハッレム・インジェが大統領候補から撤退したことです。インジェは野党から票の分裂につながるとして立候補しないように要請されていたにもかかわらず立候補しましたが、偽の書類やポルノまがいの動画を流される中傷キャンペーンにより、撤退を決意したと表明しました。インジェの撤退は、クルチダルオールがCHPの党首に就任するきっかけとなった事件を国民に思い起こさせました。2010年、当時のCHP党首デニズ・バイカルが女性議員と不倫した現場をビデオで撮影し、YouTubeに流すという事件が起きました。
バイカル党首は辞任し、後任の党首としてクルチダルオールが就任しました。それ以来、クルチダルオールには常にダーティなイメージがつきまとっています。
インジェは、エルドアンにもクルチダルオールにも投票したくない有権者の受け皿になるために立候補したと語っていました。CHP党首クルチダルオールの目論見とは裏腹に、元CHP党員のインジェが獲得するはずだった票の大半は、第3の候補で元民族主義者行動党 (MHP) 党員だったシナン・オアンに流れたとみられています。
このように、クルチダルオールは世論を見誤りましたが、それでも250万票の差で済んだのは、東部地域のクルド人有権者がこぞってクルチダルオールに投票したからとみられています。東部地域の有権者は、大統領選挙ではクルチダルオールに投票しましたが、国政選挙ではクルド系政党に投票しているため、クルチダルオールのCHPは13議席失うことになりました(選挙前146議席、選挙後133議席)。さらに、エルドアンの経済政策に不満を持つ若者層もクルチダルオールに投票したとみられています。
決選投票の見通し
今月28日に、エルドアン大統領とクルチダルオール候補者の間で決選投票が実施されていますが、予想では現職のエルドアン大統領が優勢とみられています。
前述の通り、寄せ集めの同盟を形成した挙げ句に国政選挙で議席数を減らしたクルチダルオールを巡って党内で責任問題が浮上しているなど、CHP内では早くも内紛が生じています。また、野党第2党の善良党でも党幹部が辞任しており、野党の国民同盟では決選投票を前に早くも足並みの乱れが露呈しました。
エルドアン大統領の与党・公正発展党(AKP)と元民族主義者行動党 (MHP)、および元首相ネジメッティン・エルバカンの息子であるファーティヒ・エルバカンが設立した新福祉党(3月に加盟)で構成される人民同盟は、国政選挙で過半数を超える322議席(定数600)を獲得しています。一方、国民同盟は合計213議席しか確保できませんでした。したがって、たとえクルチダルオールが大統領に当選しても、クルチダルオールの政策が議会でことごとく否定され、国政が大混乱を起こすおそれがあることから、国民はそれを望んでいないでしょう。
昨日の開票中、クルチダルオールが獲得した票はエルドアンが獲得した票を一度も上回ったことがないにもかかわらず、イスタンブール市長のエクレム・イマムオールとアンカラ市長のマンスル・ヤワッシュがCHP党本部で、クルチダルオールが第13代大統領に当選したと宣言し、後にそれが偽の情報と判明したという前代未聞の事件が起こりました。クルチダルオール当選の折には副大統領に就任することになっていた両者の政治的資質が問われただけではなく、CHPのダーティな部分が改めて浮き彫りになりました。その偽情報に踊らされてクルチダルオールを祝福するために党本部前に集まったのは、若者だけでした。
決選投票は、5月28日、日曜日に実施されます。
PickUp編集部 トルコ特派員