こんにちは、戸田です。
先週から始まりました「日本人の知らない香港情勢」シリーズ、第1回は「深センに香港の代役は務まらない」として、香港の近代史、香港の資本主義的・国際的な特徴、香港国家安全法の争点についてお伝えしました。
第2回は「現地からの悲痛な叫びと、知って役立つ国際金融のトリレンマ」でお届けします。激動の時を迎えている香港情勢を読み解き、政治や相場の大局観を掴むための参考にして頂ければ幸いです。
それでは、本題に入ります。
目次
⦁香港居民の反応、やはり悲しみの声も広がっていた
⦁国際金融のトリレンマ
⦁終わりに
⦁香港居民の反応、やはり悲しみの声も広がっていた
前回、香港居民の中に「デモは早く収束してほしい」、そのため「国家安全法の制定は妥当」であると考えている層が一定いることについて言及しました。一方で、筆者友人の香港居民(匿名希望)より、新たな報が届きましたのでご紹介させていただきます。
彼は中国やアジアを股に活躍するビジネスマンなのですが、全人代後にホワイトハウスで行われたトランプ大統領の演説(国家安全法の適用を踏まえ、中国大陸と香港を同一地域と捉える)を友人と共にみて、悔しさと悲しみのあまり号泣したそうです。年々中国の影響が大きくなる中で、古き良き香港が崩れ去っていくことを常々悲しく思っていたそうですが、今回の件で決定的に心を痛めたというわけです。
また彼が客観的な視点から教えてくれたのは、いつから香港居民として香港で生活を始めているかでアイデンティティが異なると言うことです。具体的には、香港は中国からの移民が多いのですが、香港2世・3世と世代を重ねるごとに、より古き良き香港に対する愛着が強く、必然同じ価値観を持った香港人同士が友人になる傾向があるようです。ですから一概に香港人のアイデンティティと言っても、何世代香港に住んでいるかによって、それぞれ異なる傾向があると言うことをお伝えいたします。
⦁国際金融のトリレンマ
さて本日からいよいよ相場に直接的に関係のあるテーマに入っていきます。
現在、米中対立が激化する中、香港の米ドルペッグが外れる可能性や、人民元の海外持ち出しに関する報道が増えております。本日はこれら重要情報を理解するために必要な知識、「国際金融のトリレンマ」を紹介します。
国際金融のトリレンマとは、「自由な資本移動」、「為替相場の安定性」、「金融政策の独立性」という3つの目標を同時に達成することはできず、このうち2つの目標しか選択できないことを証明した理論です。以下のマトリックスを使用し、日本・香港・中国を例に挙げて具体的にご説明していきます。
まず最も馴染みのある日本から見ていきましょう。日本は世界の投資家が自由に日本株を売買していることからもわかる通り、自由な資本移動を標榜しています。また日銀によるバズーカ緩和や、マイナス金利など、金融政策の独立性も十分にあります。一方で、為替相場は安定しません。皆さんも記憶に新しいと思いますが、コロナショックで一時101円台をつけたドル円は、一週間足らずで111円台に戻ってきます。つまり日本は自由な資本移動と金融政策の独立性を重視していることから、必然的に為替相場の安定性を享受することは出来ません。
次に香港を見ていきます。香港は日本と同じく自由な資本移動を許容しています。そして為替相場は米ドルにペッグされており、1USD=7.75-7.85で安定して推移しています。しかし、米ドルペッグを維持するために、米国が利上げをしたら香港も利上げを、米国が利下げをしたら香港も利下げをして相対的な通貨価値を維持させる必要があります。したがって香港は国内景気が悪いからと言って、独立して利下げや金融緩和を行うことは出来ません。
なお香港が永続的に米ドルペッグを採用し続けるかどうかは不明です。いつか人民元ペッグが採用されたり、そもそも通貨が人民元で統一される可能性も十分にあると思います。
最後に中国をみていきます。中国の為替相場は日本と比べると比較的安定しています。また中央銀行が独自に金融政策(利下げなど)を行うことが出来ます。しかしこれら二つを同時に確保しているために資本移動に大幅な制限を設けています。具体的には外国人が中国株取引に空売りを仕掛けようとしても簡単に行うことは出来ないし、また外資系企業が中国から資金を引き上げようとしても、ストップが掛けられる可能性があると言うことです。ここに中国が世界第二位の経済大国であるにも関わらず、世界第二位の金融大国でない大きな理由があります。
この制度化では特に中国が国難に瀕すると、在中国企業や中国居民は危機に備えて資本を第三国に移動させたいニーズが発生します。ですが通常のルートは外貨管理局にて全てチェックされているので困難を極めます。そこで企業は三国貿易を通じて資金を第三国に落としたり、個人は現金や換金性の高い物にして海外に持ち出そうとしたりする動きが活発に行われます。これが世に言う人民元の海外流出と言うもので、本当に歯止めが効かなくなると人民元が大暴落するリスクを内包しています。
ただし現在、中国は世界第一位の外貨準備預金を保有しており為替介入に必要な資金が潤沢であること、外貨管理局が全ての資本移動をモニターしていること、資金の移動を追跡できるデジタル人民元が適用される予定であることから、人民元の海外流出が激化して人民元が大暴落する可能性は限りなく低いと考えています。
⦁終わりに
さて本日は国際金融のトリレンマを中心に日本・香港・中国の構造的な特徴について言及しました。この理論を理解した上で相場をみると、香港ドル・日本円を含むアジア通貨に対してまた違った景色が見えてくるはずです。これもまた香港について考えていく上での基礎となる部分ですので、この機会にぜひ覚えてしまってください。
引き続き皆様のお役に立てる情報を配信できるよう努めてまいります。それでは、また来週お会いしましょう。
戸田裕大
<参考文献・ご留意事項>
HK Monetary Authority: How does the LERS work?
https://www.hkma.gov.hk/eng/key-functions/money/linked-exchange-rate-system/how-does-the-lers-work/
文中の国際金融のトリレンマ、マトリックスは筆者の実践的な理解より作成。元となった理論に関してはR. A. MundellのCapital Mobility and Stabilization Policy under Fixed and Flexible Exchange Ratesに記載されているとされていますが、論文の本文まで全て読み込んでいるわけではないので、ご留意事項としてここに記載いたします。
代表を務めるトレジャリー・パートナーズでは専門家の知見と、テクノロジーを活用して金融マーケットの見通しを提供。その相場観を頼る企業や投資家も多い。 三井住友銀行では10年間外国為替業務を担当する中で、ボードディーラーとして数十億ドル/日の取引を執行すると共に、日本と中国にて計750社の為替リスク管理に対する支援を実施。著書に『米中金融戦争─香港情勢と通貨覇権争いの行方』(扶桑社/ 2020 年)『ウクライナ侵攻後の世界経済─インフレと金融マーケットの行方』(扶桑社/ 2022年)。